いぬについてその2

そんなこんなで幼いころいぬに咬まれた私は随分大人になるまでいぬがこわかった
とにかくいぬというもの全てひとを咬むものだと思っていた。
触ることはおろか道を歩いていても遠くにいぬを見つけると
反対がわの道にすばやく移動したりした。
チワワだろうがドーベルマンだろうが私には
同じにみえた。
いぬのほうもなにかかんじるのだろうか
私が散歩中のいぬとすれちがうとき必ずいぬの方からよってくる。
都会の真ん中で野良犬においかけられた事もあった。
しかし 人は変わるものである。今の私は飼いたいぐらいいぬが好きである。
なにか直接的なキッカケがあった訳でもない。
しいて考えてみれば
テレビのドキュメンタリーとか 本とかで
いぬと飼い主の結び付きの強さ、いぬのけなげさにふれてしまったのである。
そしてヤラレてしまったのである。



いぬは見返りをもとめず飼い主に忠誠をつくすという。
飼い主を愛してくれるという。
なんてかわいいんだ!
こんな生き物だったのか。
ぜんぜんこわくないじゃん。
それからの私は道でみかけるいぬを人間の子供のようにしかみられなくなった。
お店の前に繋がれて飼い主をまっている子や
とおりすがりにこっちによってくる子なんかに話しかけるようになった。
(小さな声で)


とどめはこの間実家の店番をしていた時に
お客のつれてきたトイプードルが私にほほえんだのだ!
飼い主がひっぱってもひっぱっても私のほうにこようとする。
ほほえみながら!

ああもうそんないぬにだったら
私の手のひらの肉なんかあげてしまったっていい。
でも飼うならドーベルマンよりチワワかな。