物書きとしてまっとうした生。
昨晩待ち焦がれていた奥山さんのドキュメンタリーを観た。
今までほとんど活字でしかお目にかかれなかった奥山さんや、お母様、執筆されていた
部屋の様子などを観て、想像していたとおりだと思った。
ただ、日記ではつとめて気丈にふるまっていた奥山さんの病状が
この時はもうこんなに辛い状態だったのかと思うと胸が痛む。
と同時にどんなに吐き気がつらい時も起き上がれな時も
自分が物書きである事を貫き通し
すべてを文章に綴り今ある生とこれからくるであろう死について遺そうとした。
人がそこになにかを遺すということは簡単にできることではない。
物書きも音楽家も美術家も自分の作品を創造する時は命を削って挑む。
半端な姿勢で造ったものなどだれの魂も揺さぶることなどできはしない。
奥山さんのサイトのアクセスがガン闘病になってから驚異的な数字になったといっていた。
だけどアクセスした人達ははじめはタイトルで見始めたのだと思うが
自分の命をライブでぶつけてくる奥山さんに魂を掴まれたのだ。
こんなにシニカルでクールで頭がよくてセンスのいい文章を書く人が逝ってしまった。
もしかしたら村上春樹と肩を並べる位の作家になっていたかもしれない。
しかし伝説になったから奥山さんの勝ちだな。
合掌。